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受け継がれてきた歴史                       
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茶葉の歴史、茶の歴史について詳しくみて行きましょう!

詳しいお茶の世界

・平安初期(815年)
『日本後記』→「永忠が茶を煎じて献じ」これが最初の記述。
当時のお茶は非常に貴重で、僧侶や貴族階級などの限られた人々だけが口にすることができた

鎌倉〜南北朝時代
・栄西(えいさい)→二度、栄にわたって禅宗を学び、院茶が盛んに行われているのを見聞きした。 帰国後、栄西は日本初の茶の専門書でお茶の効能を説いた。(源実朝に良薬と言って茶を献上)

・鎌倉末期〜南北朝にかけて、寺院を中核とした茶園は京都からさらに広がる

・鎌倉時代→社交の道具として武士階級にも喫茶が浸透。

・南北朝時代→茶を飲み比べ、産地を当てる「闘茶」が行われた。

室町〜安土桃山時代
・足利義満→宇治茶に特別の地位を与え、豊臣秀吉にも受け継がれた。これで宇治茶のブランドが形成
・村田琳光(むらたりんこう)は「侘茶(わびちゃ)」を創出。受け継いだ武野紹鴎(ぶのしょうおう)、千利休らによって「茶の湯」が完成。豪商や武士らに浸透。

江戸時代
・茶の湯は江戸幕府の儀礼に正式に取り入れられ、武家社会に欠かせなくなった。
・永谷宗円→製茶方法を丁寧に改め、優良な煎茶の製法を編み出したので
「煎茶の祖」と呼ばれている。「宇治製法」を生み出して、日本茶の主流にした。
・近世→茶町と呼ばれる流通の拠点で許可制で茶の取引を行う人がいた。
・アメリカと日米修好通商条約を結んだとき、開港を機に生糸と並ぶ重要な輸出品として茶181トンを輸出した。

明治時代〜昭和初期
・平坦な土地に集団茶園が形成されるようになる。士族の代わりに農民が茶園を継承
・集団茶園の形成は茶園の形成のみならず流通の発展、茶商、仲買人、育成、各種機械の発明など茶業を中心とした関連産業の成立に影響を与えた。
機械化が急速に進み、省力化と共に品質の安定化に寄与した。
・国内向け嗜好飲料に変わっていき、日本人の生活に根付いたのは大正末期から昭和初期と意外に新しい。

昭和後期
 
・1981年にカン入りのウーロン茶が発売
・1985年にカン入りの煎茶が販売される。
・昭和30年代には、国内の緑茶の消費量が増加し、国内の茶の生産量が追い付ず価格が高騰した。
・昭和41年(1966年)に茶の輸入量が輸出量を上回った
・一人当たりのお茶の消費量が減った


平成
・1990年にペットボトル入りの緑茶が発売される。 
・平成27年4月24日に京都の山城(山城地域8市町村)が日本遺産に認定された。(宇治市、城陽市、やわた市、京田辺市、宇治田市、木津川市、和束町、南山城村の厚生文化財)
・平成28年4月、新たに京都の四町(久御山町、井手町、笠置町、精華町)が構成文化財(日本遺産)に追加された。
これにより、「お茶の京都」エリアの山城地域12市町村はすべてに構成文化財が存在することとなった。